御朱走をはじめるにあたり松島湾沿いの郷土史を読んでいます。わたしの御先祖さまのことも書いてみようと思います。
昔々の1615年。大坂夏の陣で敗戦し、伊達政宗公を頼って千葉から船で浦戸にやって来た長南和泉守(いずみのかみ)率いる長南一族が私のご先祖様にあたります。約400年前のことです。家系図を見ると嘉吉系5代目勇吉さんの三男・杢左衛門さんが私の祖父・勇さんの実父にあたります。
このご先祖様たちは再度戦いに向かうことなく寒風沢で刀を置き農民になりました。翌1616年、寒風沢築港に着手、1632年、寒風沢港を開港し廻船問屋業を始めます。主に伊達藩の貢米を江戸に送り、赤松が主だった松島に黒松を植える事業も行っていました。一族トップの和泉守さんは瑞巌寺の雲居国師より松島の栽松事業を評価され賞状と「栽松道本信士」という法名をいただいています。廻船問屋業は当時流行ったそうで石巻の湊に分家し開業しました。
ワタシはご先祖様のことをこれまでなんとなく聞いてはいましたが、あまり興味が湧きませんでした。ウォーキングツアーをするにあたり郷土史で地域を調べることでご先祖さまの軌跡をたどることになりました。
大沢平から見る松島湾が好きなのですがこれは先祖たちが植えた松を魂が覚えていたのかなぁ~と思ったり・・・
震災の翌年、松島から自走で石巻の湊にいたボラ仲間を訪ねに行ったことがあるのですが今思うとご縁のある場所だったんだと思ったり・・・
宮戸のウォーキングイベントに申し込み、それがきっかけで宮戸を歩くようになったのですがのちにご先祖さまの菩提寺が観音寺だったことを知ったり・・・
はじめて寒風沢を訪ねた時、「お墓参りに一人で行くものではない!一緒に行くから。」と偶然知り合った女性にご先祖さまのお墓まで案内してもらったり・・・
2度目の寒風沢訪問の際、歴史に詳しい年配の男性に「珍しいなぁ、なんでこんなところを歩いているの!?」話しかけられ、その男性に寒風沢とのご縁を話していて気づいたことがありました。「あなたたち長南一族は後から来た人たちなんだ。南朝と北朝、わかるか」と・・・
(そうか・・・先祖たちはこれまでのすべてを捨て、この寒風沢に命を預け、地元の人たちに迎い入れてもらったんだぁ~)と思ったんです。
(その当時の侍としては考え方が柔軟で変化に強い一族だったのではないか)と。この男性との会話で空想の域が400年前の江戸時代まで広がりました。そして私も先祖と同じように鎧を取り払い地域に飛び込んでみようと決めました。
この長南一族は明治になり仙台藩が解体すると江戸時代に着工した港の建設費用の借金を抱えてしまい寒風沢から離散していきました。十一代目・清八郎さん(私の高祖父の兄)は戊辰戦争時、浦役人をしており、土方歳三率いる旧幕府軍一行を自宅に寄せています。
松島の小さな神社巡りから始まった御朱走ツアー。歩いたり走ったりしているところが偶然にも先祖の足跡が残っているような地域で私も不思議な気持ちで歩いたり走ったりしています。
先祖はお江戸に貢米を運んでいましたが、御朱走は地域に人(送客)を運んでいると思いながら取り組んでいます。松島には癒しの山と浄化の海があります。皆さんもどうぞ歩きにいらしてください。
よろしくお願いします。
御朱走松島ウォーキングツアー 鈴木由美子
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寒風沢の中心に伸びる道