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46回忌・浦戸へ

昨日は実父の46回忌でした。午前中はヨガ教室でしたので、そのあと急いでお墓参りを済ませ、午後イチの市営汽船に乗って朴島へ渡りました。

朴島の菜の花を見て安心しました。週末の御朱走は菜の花ツアーとうたっているのに咲いてなかったらどうしよっ・・・と内心心配でした。

朴島に一時間ちょっと滞在し、そのあと渡船で先祖の眠る寒風沢に渡りました。

400年前に上総の国(千葉)を追われ、潮に乗り寒風沢(正確には野々島)に着いた長南和泉守が私の遠い先祖になります。大坂夏の陣で敗戦し、伊達政宗公に再度武士として採用してもらうためにやってきましたが願いは叶わず500年続いた武士一族はこの地で刀を置きました。

平安末期から数々の戦を渡り歩いた一族の歴史を長南和泉守の代で閉じるとは大変な決断だったと思います。伊達政宗公から寒風沢に上陸許可が下りるのに1年半から3年かかったという話もあり(船世帯だったそうです)、その間幾度か千葉に戻ろうと考えていたのでは・・・と郷土史には書かれていました。

武士を辞め、農民になり土を均し寒風沢港を築港した。その後、瑞巌寺の雲居国師から松島に黒松を植えて欲しいとの相談を受け、静岡から黒松を取り寄せ松島湾に手植えした。

長南和泉守の時代は勝ち戦はないものの、巧みな負け方をするそうでして・・・これはこの一族の強靭な気質や気性を物語っているそうです。敗戦の美学って難しいと思うんです。しかし、郷土史からは見る敗戦後の和泉守さんの立ち振舞いは人間として芯の強さと美しさを感じとることができました。

遠い先祖のことを思いながら歩いて走った寒風沢。和泉守さんが寒風沢に来てから約250年後に戊辰戦争が終結しました。私の祖父の祖父の兄、寒風沢で浦役人をしていた十一代目清八郎さんとその一人娘・十二代目清八郎さんことあいさんで絶家しました。戊辰戦争後、父と別々に暮らしていたあいさんはとにかく笑う人だったそうです。人の家に預けられ、苦しい中でも十二代目としてのプライドを守り通した人だったと想像します。

苦しい時こそ笑える自分でありたいし、苦しいと思った時は寒風沢で生き抜いた先祖たちを思い浮かべようと思いました。そして他所からやってきたのにかかわらず受け入れてくれた地域の人たちのことを忘れないようにしようと。それはいつの時代も一緒だと思いました。御朱走も一緒です。

46年前のこと、病院にお見舞いに行くとベットの横の引き出しから給食で出されたイチゴジャムのサンドイッチを私に差し出す父親の笑顔がいまでも忘れられません。小学1年生の4月、桜の散る時期に父は他界しました。

ツアーの下見をしながら父のことを思い出し泣いては走って走っては泣く。外目、変な人ですが人ひとり歩いてない寒風沢の要の浜方面だったので思う存分泣いてきました。菜の花が綺麗でした。

寒風沢の菜の花、色が濃くて朴島と種類が違うようです。

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先日4/21、ツアーが終わってから瑞巌寺にお参りに行きました。

観光客の人に撮影してもらいました。この空気感と佇まいってどこから来るのだろう!大好きな空間です。

松を見るとあったこともない先祖のことを思います。

瑞巌寺の山門を通り右側の洞窟群側に立つ長南和泉守の栽松記念碑です。ツアー前は安全祈願で立ち寄ります。

週末、浦戸諸島・菜の花ツアーでご一緒される皆さん、サポートの皆さん、今回もどうぞよろしくお願いいたします。

御朱走松島 鈴木由美子

フェイスブック https://www.facebook.com/yumiko.suzuki.shanti

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